山口地方裁判所 昭和34年(わ)162号 判決 1960年9月16日
被告人 内山茂樹
大一三・九・一三生 国鉄職員
主文
被告人を罰金一〇〇〇円に処する。
被告人において右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は日本国有鉄道(以下単に国鉄と略称する)小郡車掌区に勤務する職員であり、且つ国鉄労働組合(以下単に国労と略称する)に所属する組合員であつて、国労広島地方本部小郡支部執行委員長の地位にあつたものであるが、被告人の所属する国労の中央本部においては昭和三三年初め頃から国鉄当局に対し二〇〇〇円の賃金引上、〇・五箇月分の期末手当の支給及び団体交渉の再開等を要求してその折衝を続けてきたところ、更に右諸要求の貫徹を図り併せて部外の一般大衆に対しても組合側の要求内容がどのようなものであるかを訴えるためにいわゆる昭和三三年度春季斗争を実施することに決定したが、国労広島地方本部においても同年二月中右のような趣旨に添つて春季斗争を実施することを確認するとともに、その斗争方式として前記目的を達成させるのには組合側の要求内容を盛り込んだビラ貼りが最も適当妥当な策であると認め、そして右斗争の実施箇所の一つを小郡支部と定めたうえ、その頃その旨を同支部に指示し、且つ体裁、内容等を一部定めたビラ多数枚を同支部に送付した。
被告人は同支部執行委員長として右指示に基き、同年三月一八日国労中央本部員末宗明登小郡支部副執行委員長由水勇、同支部執行委員賀屋章人及び同支部組合員浅原浩と共謀のうえ国鉄山陽本線小郡駅駅長室兼小郡駐在運輸長室内(個室)(駅長室と略称する。以下同様)に前記の送付にかかるビラ多数枚を貼付することを企図し、同日夜一一時過頃前記四名とともに、それぞれ縦四七糎位、横一三糎位の紙片に「年度末手当〇・五をただちにくれ」「昇給は民主的に行え」「人間らしい生活をさせよ」「人べらしは死ねと言うことだ」等と墨書し或いは「みんなの力で賃金調停を有利に出させよう」「明るい労働条件から明るい県政を」等と印刷し且つこれに国労広島地方本部の名を記入したビラ多数枚並にメリケン粉糊(バケツ入)を携えて同駅事務室に赴き、其処で当務助役清水作一に対し駅長室内に立入つて同室内に前記ビラを貼り付けることの了解を求めたのであるが、清水当務助役から口頭でこれを拒絶する旨の意思を表示されたのに敢えてこれを無視し、前記ビラ多数枚を同室内に貼り繞らす意図をもつて同室西側の駅事務室に通る出入口から清水作一が看守する駅長室内に立入り、もつて人の看守する建造物に故なく侵入したものである。
(証拠の標目)(略)
(確定裁判)
被告人は昭和三四年五月二六日山口地方裁判所において、公職選挙法違反の罪により罰金三〇〇〇円に処せられ、右裁判は同年六月一〇日確定したものであることは検察事務官作成の前科調書並に被告人の当公廷での供述によりこれを認める。
(法令の適用)
法律に照らすと、被告人の判示所為は刑法第一三〇条前段、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に該当するところ、右は前示確定裁判にかかる罪と刑法第四五条後段の併合罪にあたるから、同法第五〇条により未だ裁判を経ていない本件建造物侵入罪について更に処断すべく、その所定刑中罰金刑を選択しその所定額の範囲内で被告人を罰金一〇〇〇円に処し、被告人において右罰金を完納することができないときは同法第一八条を適用して金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して全部被告人に負担させる。
(本件公訴事実のうち建造物損壊、及び暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項違反の点についての判断)
本件公訴事実中建造物侵入を除くその余の点の要旨は「被告人が昭和三三年三月一八日午後一一時過頃由水勇外三名と共同して(一)メリケン粉糊を用いてビラ合計三四枚を建造物の一部である駅長室内の北西側壁及び南東側白壁下部の腰板に貼り付け、もつて国鉄所有の建造物を損壊し、(二)前同様の方法でビラ合計三〇枚を同室内北西側窓、同出入口並に駅事務室に通ずる出入口の各ガラス戸及び衝立に貼り付け、もつて数人共同して国鉄所有の器物を損壊したものである。」というのであつて、罰条として、(一)について刑法第二六〇条、(二)について暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項が掲げられているが、前掲各証拠によるも、右建造物損壊並に器物損壊の事実はこれを認めることが出来ない。
刑法第二六〇条及び同法第二六一条にいわゆる物の損壊とは法文にいう毀棄と同一の意義を有し、あまねく物の本来の効用を失わしむる一切の行為をいうのであつて、勿論それは単に物質的有形的に物の形態を変更、滅尽せしめる場合だけではなく、事実上又は感情上無形的にその物を本来の目的に従つて使用することができない状態に至らしめた場合をも含む。そして本件の如き建造物や器物が一般的にみて一面で人の生活感情乃至美的感情を満たすべき効用を有し、而もこのような無影的価値効用も亦これら物の重要な効用とみられるから、これら物にビラを貼り繞らすことによつてこれら物を汚損し人に不快嫌悪の感情を起こす結果に陥らしめた場合にこれを物の損壊と解さねばならない場合のあることも否定することができない。然し翻つて、特に軽犯罪法第一条第三三号の規定との比較対照において考えるならば、物の性質上特に通常の目的用途の他に特殊の文化的価値を有するものと認められるようなものである場合は格別、そうでなくて、その物の性質乃至行為当時の諸般の状況に鑑み汚損の程度が極く軽微で而も一時的なものに過ぎない場合は刑法毀棄罪の成立をみないと解するを相当とする。本件にあつて前掲各証拠によれば、被告人外四名の者が共同して国鉄所有にかかる建造物の一部である小郡駅長室内北西側板壁及び南東側白壁下部の腰板に合計三四枚に達するビラを、又同室内北西窓、同出入口及び駅事務室に通ずる出入口の各ガラス戸並に衝立に合計三〇枚に達するビラを貼り繞らしたこと、右ビラは判示のとおりの体裁、内容のものであつて、すべてメリケン粉糊をもつて貼り付けられたものであるが、翌日中にこれらビラは同駅職員等の手によつてすべて剥ぎとられて旧に復したこと、これにより右の建造物や器物に物質的有形的な損傷を与えたということもなく、又殊更に新たな材料を付けることもなく、水洗い等により容易く回復され得たものであることが認められる。このようにビラを貼り付けることによつて、これらの物件に物質的有形的な損傷を与えることもなく、又殊更新たに加工を施すことなく容易くこれを除去し旧に復し得る程度のものであるに過ぎない場合は、仮令これにより一時物を汚損しその間人に不快の感情を与えることがあつても、右が軽犯罪法の前規定に該当するかどうかは扠置いて、刑法毀棄罪にいう毀棄にあたるものとは認められないというべきであり、従つて又暴力行為等処罰に関する法律第一条違反罪が成立しないことも自明の理であるといわねばならない。よつて本件公訴事実中建造物損壊及び暴力行為等処罰に関する法律第一条違反についての訴因については結局犯罪の証明がなく刑事訴訟法第三三六条後段により無罪であるけれども右は判示建造物侵入と牽連犯の関係にあるものとして起訴されているのであるから、この点につき特に主文において無罪の言渡はしない。
尚本件ビラ貼りに対しては更に右の如く軽犯罪法第一条第三三号の規定をもつて律すべきかどうかが問題となるのでこの点一言付け加えて置く。いつたい軽犯罪法違反罪と刑法毀棄罪(従つて又暴力行為等処罰に関する法律違反罪)とは罪質を異にし、それに従い当事者双方の攻撃防禦の方法や重点のおきどころを異にするから、本件ビラ貼りに対し軽犯罪法違反の罪を問うには訴因罰条の変更の手続を採ることを要するものと解すべきところ、本件にあつて検察官は右軽犯罪法違反の点について予備的訴因として訴追することもなく、寧ろ却つて本件ビラ貼りが軽犯罪法の前記規定にあたるということに対し否定の態度を一貫させていること本件審理の経過に徴し明白である。ところで裁判所としては公訴事実の同一性の範囲内で検察官に対し職権で訴因の変更を命ずることができるのであるが、然し当事者主義を基調とする刑事訴訟法の構造に照らせば、それは公訴事実の基礎である社会的事実を洗いざらいに究明し、これをあらゆる観点からみて何らかの罰条を適用すべきことまでをも要求されるものでなく、唯被告人に不当な利益を与え惹いて著しく不正義が生ずる虞ある場合においてのみ例外的に訴因の変更について裁判所が職権を介入させる職責を負うに過ぎず、刑事訴訟法第三一二条第二項はこのような趣旨のものと解される。これを本件についてみるに、本件ビラ貼りについて仮りにこれを軽犯罪法の訴因に変更すればその責任を問うことができるとしても、右は刑法建造物損壊等の本件訴因に比較すれば罪質極めて軽微なものであり、更に本件ビラ貼りは判示の建造物侵入と通常手段と結果の関係にあり科刑上一罪にあたり、而も既に刑責を問い得る右建造物侵入罪よりも刑が軽いのであるから、軽犯罪法違反の点を不問に付しても被告人に対し不当な利益を与える虞もない。従つてこのような場合には強いて軽犯罪法の訴因に変更を命ずる必要がないと認められるから、右訴因の変更を命じなかつた次第である。
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人等は被告人の判示所為が正当な組合活動として労働組合法第一条第二項に該当し刑法第三五条の適用を受け違法性を阻却さるべきであると主張するのでこの点について審究するのに、被告人は他四名と共に深夜一一時過頃、日頃職員が自由に出入することを許容されている駅事務室のような駅構内の場所と異り、個室として取扱われている駅長室に、その看守者から立入を拒否されたにも拘らず敢えてこれを無視して同室内に立入つたものであり、それが正当行為として許容されるためにはそれだけの理由を必要とするが、本件にあつては被告人は他四名と共に組合の要求を有利に導かんがため国鉄当局に圧力を加える目的で同室内に多数のビラを貼付する意図下に同室内に立入り、そして前認定のように同室内の板壁や白壁の腰板、或いはガラス戸や衝立等に合計六四枚に達するビラを貼り繞らしてこれら物件を汚損したものであつて、仮令これが前記のとおり刑法毀棄罪にあたらないとしても財産に対する侵害であることに変りなく、かような侵害を生じさせる目的で同室内に立入ることは仮令それが組合活動として行われたものであつても社会通念上許容さるべき程度を越えたものであつて、違法性がないということはできない。従つて弁護人等の主張は採用できない。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 永見真人 竹村寿 田辺康次)